シネマ雑感 「『マイノリティ・リポート』にみる素晴らしき(?)未来社会」

 公開中の『マイノリティ・リポート』。原作はフィリップ・K・ディックのSF小説だ。
 ディック原作のSF映画といえば、『ブレード・ランナー』(82年)や『トータル・リコール』(90年)が即座に思い浮かぶ。
 どの作品も根本のアイデアは小説のものだが、未来世界のディテールやSF的小道具にはそれぞれの製作年代における未来観が反映されている。そういう目で3作品を比較してみるのも面白い。

 まず80年代の『ブレード・ランナー』。舞台となる2019年のロサンゼルスは、香港や上海を連想させるゴテゴテした大都会。酸性雨が降り続くなか、派手な原色の電飾看板がブーンとにぶい音を立てて明滅している。
 主人公のデッカードは、逃亡したレプリカント(人造人間)を追う捜査官。ダウンタウンの小汚い店でうどんをすすり、じとじとした街の底を這いまわるような捜査を続ける。薄暗くじめじめした街並みは希望のない未来の象徴のようだ。しかし、その反面、何が飛び出すかわからない大都会ならではの刺激や猥雑さが魅力的でもある。

 90年代の『トータル・リコール』の舞台は2084年。主人公のクエイドは工事現場で働く肉体労働者だ。彼の住まいはゆったりと広く、モダンで清潔、機能的なデザインで、壁面いっぱいに巨大なTVモニターがドーン。
 セクシー美女の奥さんは家でエクササイズに励んでいる――ということは、共稼ぎしなくてもいい経済的余裕があるのだろう。うらやましいかぎり。

 やがて、クエイドは失われた記憶を探し求めて火星へ旅立つ。独裁者が君臨する火星は暴力と金が支配するすさんだ世界。厳しい環境のせいか奇形児が多い。
 しかし、荒っぽい未分化な社会ならではのバイタリティは感じられる。絶望的な生活を強いられている貧民の目からも「明日は今日よりきっとよくなるはず」という希望の光だけは失われていない。

 これら2作と比べると、『マイノリティ・リポート』の舞台となる2054年のワシントンDCははるかに息苦しい管理社会だ。主人公・アンダートンが勤務する犯罪予防局をはじめ、地下鉄駅構内やショッピングモールなど、街じゅうのいたるところに網膜スキャンで個人を識別する装置が設置されている。
 ショッピングモールの広告映像がいちいち網膜をスキャンして「ハーイ、アンダートン、ブルガリの香水はいかが?」なんて話しかけてくるのだ。もちろん、街のどこに誰がいるのか、なんてことも調べさえすればすぐわかってしまう。

 そして――。街の中心部が目もくらむようなハイテクで整備されているのにひきかえ、スラム街の荒廃ぶりは現在と同等かそれ以上。貧しい人間は先端科学の恩恵をまったく受けていない。
 ひとつの街の中に同居する豊かで進んだ社会と取り残された貧しい社会。両者の激しすぎる落差を見ると、いくらアメリカン・ドリームの国とはいえ、そこを飛び越えることはほとんど不可能に思えてくる。富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなる――それがこの作品の描く未来だ。

 10年前、20年前に空想された「未来」は暗いなかにもどこか魅力があった。『マイノリティ・リポート』の「未来」はそれに比べてはるかに閉塞感の強い、せちがらいものになっているような気がする。

   

Text by 輝
2002/12/14

→ 「癒される映画」 インデックスへ戻る

おすすめ商品カテゴリー

アロマオイル クイックメニュー

アロマテラピーは、病気の治療を目的とした医療行為ではありません。また、当サイトの情報は、精油の医学的な効能、効果を保証するものでもありません。精油を使用する際には、製品についての注意事項をよく読み、自己責任の下、正しくお使い下さい。

  • 夢香房は、エッセンシャルオイル(精油)やアロマランプ、ディフューザーなどの販売(通販)を行う、アロマテラピーの専門店です♪